2016.12.12
Copyright (C) 2014 ZauCats, All Rights Reserved.
こんにちは。大陽リアルティの辻です。
先日、物件を探しに行きましたところ、不思議な看板に遭遇。
旧東海道本線の「ランプ小屋」という史跡で、
国鉄最古の貴重な建物ということです。
それだけであれば、「ふーん・・」という話なのですが、
これがあった場所はどこだと思いますか??
Copyright (C) 2014 ZauCats, All Rights Reserved.
なんと、JR稲荷駅前なんです。
JR稲荷駅と言えば、伏見稲荷に参詣される観光客でにぎわう、JR奈良線の駅。
JR京都駅から、東福寺、稲荷、藤森、桃山、六地蔵と奈良に向かって南下していく路線です。
対して、東海道本線はJR京都駅から山科、大津、膳所と東に向かっていく路線。
ちょっと考えるとおかしな話ですよね。
その説明が看板の冒頭にされていました。
な、な、なんと・・!
東海道本線は開業当初、膳所~京都間を現在のルートより大きく南に迂回して、
膳所(旧駅名:馬場)⇒大谷(廃駅)⇒山科⇒稲荷⇒京都を通っていたということなのです。
概ね現在の名神高速道路のルートに近い形で、
山科駅は現在の位置よりもだいぶ南の”勸修寺”辺りにあり、
稲荷駅の少し南でJR奈良線と合流して、
京都駅までは現在のJR奈良線のルートを通っていたようです。
なぜ、こういったルートを通っていたのか。
大津から京都までは2ヶ所の山間部を越える必要がありますが、
現在の東海道本線ルートよりは、工事がし易かったのでしょうか。
参詣のため、あえて伏見稲荷神社を通るルートを選んだのでしょうか。
あるいは、大津駅周辺や現在の山科駅周辺が栄えてきたためにルートを変更したのでしょうか。
その理由は分かりません。
明治11年に開通した当区間も大正10年に新ルートが開通したため廃止となりました。
廃止区間の一部は名神高速道路の用地として現在も利用されています。
鉄道の旧路線のことを考えると、なんとも不思議な気持ちになります。
センチメンタルでノスタルジックでちょっぴりアドベンチャーな気分です。
そんな気持ちにたっぷり浸るために、東海道線の旧路線を調べました。
神奈川県小田原市付近。
現在は真鶴トンネルで結ばれている区間が、昭和47年までは少し海寄りを旧線が通っていました。
小田原から静岡の三島までは、山の箱根ルートを通るか(国道1号線)、
海の熱海ルートを通るか(東海道本線、東海道新幹線)、どちらにせよ相当な難所です。
あるいはもっと迂回して、富士山の北側を通るルートもあります(東名高速道路)。
静岡県静岡市から焼津市にかけての区間。
「日本坂トンネル」付近で、山が海まで差し迫った急峻な地形を、
旧線は二本のトンネルで通っていました。
現在は少し山寄りに一本のトンネルで通じています。
滋賀県と岐阜県の県境を越える路線。
関ケ原駅~深谷駅(貨物駅/廃駅)~春照駅(廃駅)~上阪駅(廃駅)~長浜駅。
ちなみに現在の長浜駅はJR北陸本線の駅で、東海道線は通っていません。
つまり旧線は関ヶ原駅から北に迂回して、琵琶湖畔の長浜駅に出ていました。
これは旧東海道本線が開通する以前に、既にこの区間に鉄道が通っており、
その路線を利用したものです。
また、長浜から京都方面へは琵琶湖の水上輸送を利用していたそうです。
東海道本線は順々に開通した訳ではなく、
新橋駅~横浜駅間、神戸駅~京都駅間と飛び飛びに開通していったので、
鉄道黎明期にはこういった水上区間もあったのですね・・!
吹田駅、東淀川駅、新大阪駅、大阪駅と関西の中心部に廃線があるってご存知でしたか?
その跡はどこにあるのでしょう・・・?
といってもそんなものは見つかりません。
吹田駅から大阪駅間の旧東海道本線は、
現在は阪急京都線や千里線に転用されているのです。
高速道路に転用されたり、私鉄に転用されたり面白いですね。
ご清覧ありがとうございました。
本日は東海道本線の代表的な旧線をご紹介させて頂きましたが、
短い区間であれば他にもまだまだあるかもしれませんね。
もちろん東海道線以外の路線でも旧線・廃線は多数あります。
そして、これらのルートをぜひ自らの足で踏みしめて、歩いてみることをお勧めします。
往時の電車が行き来する様、鉄道建設の困難さ、なぜ代替ルートが選ばれたのか、
そして現在の静けさ、などいろいろなことをゆっくり歩きながら考えると、
日本に生まれてきて良かった、なんて思えてくるかもしれませんww
本日は辻が担当しました!