2011.03.14
その後は学校には避難せず、近所の知り合いの人と合流し、近くの税理士会館へ避難しました。
その日は、正直豪勢な食事でした。
各家庭の冷蔵庫からものを寄せ集め、保存ができない為、みんなで分けて食べました。
しかし、その後は復興の目処がたたない、どん底の避難所生活のはじまりです。
当然、学校の授業は無く、大人たちは今後のことを悲観的に話します。
まだ、子供だった僕は、そんなに深く考えないようにしました。
考えれば、、、泣きそうになるので。
あとで知ったことですが、僕の倒壊した家屋の梁の直撃を受け亡くなり、
塾も同じだった友達も、親子揃って亡くなりました。
少しづつ、電気も復旧し、比較的被害の少なかった家の人は家に戻り始めました。
そんな避難所生活が続く中、とある発言を目撃してしまいました。
当時は、携帯も普及しておらず、インターネット等も当然ありません。
そんなときの情報はテレビか雑誌、新聞です。
記憶が定かではありませんが、当時、あまり被害の少なかった大阪の
どこかの市長か高名な役職についている人の発言です。
被災地はご飯が不足している、との談話の中だったかと思いますが、
「ご飯が無ければ、パンを食べればよい」というような発言がありました。
まぁ、今でいうと石原都知事の「津波が人の欲を洗い流した」的な発言に近いかと思います。
石原知事の発言は、前後の流れからいうと直接的に今回の津波に関してではないですが、
浅はかな発言というか、津波と結びつける時点で、人として問題だと思います。
作家であり、言葉のプロであり、東京という日本の首都を担う知事です。
そんな重要な任務を背負う人が、決して発言していい言葉ではありません。
話がそれました。
そういうこともありましたが、街は復興に向けて動いています。
学校の授業も少しずつ始まりました。
そこでも問題があるわけですが、隣の明石市から表敬訪問を受けました。
生徒会の役員をしていた僕は当然、そこに立ち会うわけです。
ただ、まだ多くの家が倒壊し、人々が非難している状況を目撃しているにも関わらず、
表敬訪問の段階でも尚、「笑っている」わけです。
被害に遭い、非常に苦しい日々をすごしている避難民を前にして、「笑える」わけです。
中学生だから、と許されるものではない。引率の教師も注意もせず、淡々と終わりました。
この被害を目の当たりにしても尚、何も感じず、「笑える」神経がいまだに忘れられません。
続く。