2014.01.17

阪神淡路大震災から19年。

1.17。関西の人にとっては、忘れてはいけない数字です。

あれから、気がつくと19年。非常に長い年月です。

それまでに、いろいろなことがありました。私にいたっては、神戸を離れ、京都に住んでいます。

それでも、生まれ育った神戸のことを、あの震災のことを忘れることはありません。

震災や洪水・台風、津波や竜巻等、自然災害は防ぐことができませんし、予測も難しいです。

そういったものに命が左右されているのも事実です。

京都に住んでいる良くわかりますが、旧耐震の物件が多く、特に木造の一軒家が多いため、倒壊の危険も高いですし、料理を作る時間(昼間や夕方)だと、火災が起こり、延焼の可能性もあります。

どんなに資材が進歩して、燃えにくかったり、強度が上がっても、それを超えて燃えたり倒壊することも考えられます。

ビルの倒壊や高速道路の倒壊を目の当たりにして、どんな建物も倒壊する可能性があることを実感しています。

新耐震であっても、建物の形や構造により、また地震の揺れ方次第では、何か起こってもおかしくないのです。

私たち人間は、本当に小さな生き物です。

非常に大きな、地球という生き物の上で、生かされているわけです。常に、「心構え」や「準備」が必要だと思います。

自然災害は、どんなに町が復興しても、決して色あせてはいけないものだと思います。

阪神淡路大震災のみならず、復興途中の東日本大震災もそうです。

戦争と同じように、これからもずっと語り続けていかなければ、きっと同じ被害が生まれます。

「教訓」を活かすこと。そして、それを町づくりに活かすこと。

それが、きっと、災害に強い街になっていくと思います。

前にも書きましたが、人は、一秒先の未来さえ、わからないのです。

たった一秒あれば、自然災害から自分の身を守れます。強いて言うと、晃津事故からも身を守れます。

でも、それもかないません。

だからこそ、過去の教訓を頼りに生きていくのだと思います。

19年という年月は、非常に長いです。

震災年に生まれた赤ちゃんが、高校を卒業しているわけです。

でも、20年、30年、50年と年月が経過しても、過去にあった事実を、その歴史を、その時に生きた人々の努力を、生きた証を、忘れないようにしていきたいと思います。

本日は、丸毛が担当しました。

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