2014.06.24

「やじ」の文化。

サッカー日本代表対コロンビア代表前に、どうしても書きたかったので、記載。

日本には、「やじ」という文化があります。

今、東京都議会でのセクハラやじが問題になっています。

なんかこう、、、根本的な問題かなと思いますが、

なぜ、重要な議題について話し合う場である、議会でこういったやじが飛ぶのでしょうか。

前で演説している人がいるわけです。そして、それは黙って聞くべきです。

今回はセクハラな内容でしたが、これって立場を変えると、、、

学校の先生が前で授業している処、それを聞くべき生徒がやじを飛ばす。

「先生、いつ結婚するの」「先生、早く子供産めば」といった具合です。

学校と議会とでは状況が違うと言ってしまえばそれまでですが、そんな簡単な話でしょうか。

話をする。話を聞く。ということには変わりません。

生徒たちの見本となるべき大人が、こういったことをしていることに、

なぜ誰も疑問に、そして問題にしないのでしょうか。

静かな議会は、それはそれで問題かも知れません。

でも話し合いとやじとは別物です。

誰かの意見に対し、「正当に」反論する。党首討論とかは、重要だと思います。

また、議員同士の場合でも、正当な意見を言った人に対し、反論するのが筋だと思います。

でも、関係無い人がやじを飛ばすのは必要でしょうか。

議会は、子供にとっての反面教師の場でしょうか。

NHKで放送していますが、はたして子供に見せられるものでしょうか。

人の話を聞く。そう教えられた人たちが、なぜ議会では話を聞くことができないのか。

話を聞かない、ではなく、やじが飛ばせるという事は話を聞いているからだと、反論する人もいるかも知れませんが、私はそうは思いません。

話を聞く、というのは、「黙って聞く」という事。

小学校、中学校、高校、大学と出た議員の人たちは、16年もの間教えられたはずの基本中の基本のことを、

なぜできないのでしょうか。

喧嘩をする必要は有りません。

反論があるのも大いに結構。そうやって、大事な議題の決議を進めていくわけです。

しいては、私たちの生活に直結するわけです。

でも、やじは不要でしょう。一体、何の意味が有るのでしょうか。

それが伝統という話も聞いたことがありますが、そんな無意味な伝統は必要ですか。

子供がまねたときに、そういう大人は子供をしかる事ができますか。

言いたいことを言わないのではないし、しっかりと意見は言えばいい。

でも、話している最中に、やじという形でいうのは、筋が違う。

今回の問題も、いつかは無かったことになるでしょう。

差別発言だからこそ、セクハラ発言だからこそ、これだけニュースになりましたが、

もっと根本的な話をしませんか。

社内の会議で、商品説明している社員に対し、やじを飛ばしますか?

飛ばされたほうは、それ以上説明をする気を無くします。

いえ、それが目的でやじを飛ばすのかも知れませんが。

もう一度いいます。

本当に、やじは必要ですか。

いい大人が、子供の手本なれていますか。

やじなんかより、もっと大事なこと、話し合いませんか。

本日は、丸毛が担当しました。

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