1995年1月17日、午前5時46分。

あれから20年。月日が立つのが早いもので、神戸の町は当時の面影が思い出せないくらい復興しました。

中心地では高速道路が横倒しになり、線路は波打ち、当時の自宅から公園を超えて、地震に耐えた高速道路の向こう側の空は赤く、まるでこの世の終わりのようです。

避難先はとりあえず倒壊を免れた建物の会議室。学校も当然避難先になっています。

その学校の体育館には、多数の息のしていない人たち。そのそばで泣き叫ぶ残された家族。

家が倒壊し、これからさきどうすれば良いかわからず、ただ呆然とする大人たち。

寒さと空腹を耐えながら、でも、先の見えない世界を、ただ見つめるお年寄り。

その一瞬は、あらゆるものを奪っていきました。

燃え広がる火の手が迫ってくる。でも倒壊した建物から抜け出せない。助からない。

周りの人も、何もできない、、、助けることが出来ない。

やがて、火の勢いも弱くなり、、、そこに広がるのは、まるで空襲でも受けたかのような焼け野原。

助けられなかった命もそこに眠っています。

これがその時の様子です。

当時、まだ子供だった私には、まだ理解はできませんでしたが、父親も母親も大変な苦労をしたと思います。その中で育てていただいたこと、今になってわかるのですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

あの地震で生き残った人と死んでいった人との差は運しかありません。

私は、その時に、生きることを学びました。

さぁこれからだ。

まだまだ人生のゴールはまだ先だ。

地震という試練を与えてくれた、そして、生きろといった。

今がたとえ苦しくても、決して投げ出してはならない。

今を生きる。

精一杯生きる。

それが答えを導くから。

どんなに大変な日々であっても、あの時に比べたらまだまだ大丈夫だ。

さぁ、精一杯生きていこう。

皆の分まで生きていこう。

そして、学んだことを恩返ししていこう。

20年。

非常に長い時間かもしれないけど、決して当時の記憶は無くせないし、無くしたくない。

まだまだこれからだ。

本日は、丸毛が担当しました。

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