2016.02.02

なぜ京都と大阪だけ「府」なの?昔は「府」は11か所もありました!

昔はもっとたくさん「府」があったってご存知ですか?!

昨年の大阪都構想問題で、ふと「都」と「府」は何が違うのだろう・・と疑問に思いました。その前に日本に47ある「都道府県」。なぜ「都」と「道」と「府」と「県」と呼び方が違うのでしょうか。府の庁舎は「府庁」で、県の庁舎は「県庁」。近畿地方は2府4県で、関東地方は1都6県などまとめて数えるときに微妙に面倒くさい・・というのが現実です。天気予報などで全国10の「府県」に警報がとか、「20都府県」とか「11道県」とか全て「県」にした方が数え方が効率的だと思います。ちなみにこの数え方は「都道府県」「都道府」「都道県」「都府県」「道府県」「都道」「都府」「都県」「道府」「道県」「府県」「都」「道」「府」「県」と(2の4乗―1)通りもあります。地方自治法上は府と県には全く違いが無く、道、都も若干の違いがある程度で、「市町村を包括する広域の地方公共団体」という意味では同じ扱いです。実は都・道・府・県の呼び名の違いはほぼ歴史的な経緯によるものだということが分かってきました。

明治維新後の行政区分の変化

江戸時代までは大名が治める「藩」が日本を形成する最大の行政区分でした。行政区分と言っても江戸時代の大名は半ば「国王」に近く、上位に幕府があるものの、各藩の法などは独立したものでした。1868年の明治維新後、1871年の廃藩置県に至るまでに順次、政府直轄領が増えていく過程で、「京都府」「江戸府(のち東京府)」「大阪府」「神奈川府」「新潟府」「越後府」「甲斐府」「度会府」「奈良府」「箱館府」「長崎府」が登場し、1869年の太政官布告によって「府」は「京都府」「東京府」「大阪府」のみとすると定められたということです。

なお、「東京府」は1943年に東京市と合併して「東京都」(地方公共団体ではなく、国の行政機関であった)に、「北海道」は1947年の地方自治法施工とともに「北海道庁」(国の行政機関)から普通地方公共団体に移行した際に成立しました。

 

「府」は明治政府にとって重要な場所を指した

先に挙げました11の「府」。いずれも幕府の直轄領であり、そのまま明治政府が引き継ぎ、奉行が支配した土地や港を「府」と規定し、それ以外の代官が支配した地を「県」としたということです。なるほど、11の「府」は大都市や港、甲斐府=金鉱、渡会府=伊勢神宮など特に重要な地域が指定されています。

「府」は「県」になっても大丈夫?!

その後、太政官布告により3府になり、東京府が東京都になり、以降ずっと「京都府」「大阪府」の2府状態が続いています。ただ府・県の法的な根拠となる地方自治法で府と県は同権限の行政機関として位置付けられているので、府が県に変更になっても行政上は特に問題は無いと考えられます。「京都県」「大阪県」・・ちょっと悲しい響きですね。。現在となっては「府」は慣習的に用いられている呼称で、しかも冒頭のように「府県」、といったやや面倒な数え方をしなければいけないという不便さはあり無くなっても不思議でないものです。とはいえ、仮に「府」が無くなるかもしれないという事態になれば、猛烈な反対運動を繰り広げようと考えている、Love京都の辻でした。

 

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