京都から神戸へ。

9

京都から神戸へ。

本日のブログは、ちょっと趣旨が変わりまして、1995年1月17日のことのお話です。

いつもは丁寧語だけど、恐らく後半は感情混じってしまうと思いますがご容赦下さい。

1995年1月17日。

阪神淡路大震災が発生し、神戸を中心に数多くの犠牲者を出す災害となりました。

この震災は、建物の耐震化はもちろんのこと、災害の時に行政や企業、個人がどうするべきか考えるきっかけにもなり、以後の震災にもしっかりと応用されていきました。

私、丸毛は、当時神戸に住んでおり、震災を体験しています。

あれから22年がたちました。

街はすっかりと賑わいを取戻し、若い子は当時のことを知らない人が多いです。

でも、絶対に忘れてはいけません。

数多くの犠牲者がでたことを。

線路が波打って、まともではなかったことを。

高速道路が倒壊し、機能が停止したことを。

建物の密集した商店街で火災が発生し、一面焼け野原になったことを。

そして、学校の体育館が遺体安置所になっていたことを。

友達も親戚も震災で失いました。

それでも、私は今を生きています。

亡くなった人のためにも生きないといけないと思っています。

今は京都にいるので、神戸からは離れましたが、生まれ育った故郷を忘れることはありません。

22年という月日が経つのに、当時のことを鮮明に思い出します。

それだけ、衝撃も大きかったのでしょう。

でも、私は生きています。

生きないといけないと思っています。

今の世の中、世知辛いもので、いじめやら嫌がらせやらパワハラやらで、辛いことも多いです。

ニュースでも、それらを苦にした自殺ってこともよく聞きます。

でもさ、そういう人ってまじめだから追い込んでしまうと思うんだ。

辛いって思うことがあったら、何よりも自分の命を第一に思ってほしい。

友達も、仕事も、何度でもやり直しはできる。けど、それで命が亡くなることはとても切ないんだ。

神戸の震災でさ、焼け野原となった商店街で、建物の下敷きになって身動きが取れないまま、周りも助けることができないまま、焼け死んだ人がいたって聞いた。

ものすごく苦しかったと思う。

本人も、その家族も。

こんな話でどうにかできるとも思わないけど、

そういう人たちにいいたい。

とにかく生きろ。

死にたくなったら、神戸に来い。

たぶん、もう一度頑張れると思うんだ。

ちょっと感情的になっちゃいましたが、とにかく生きていてほしい。

辛くなったら逃げてもいいと思います。

何よりも大事なのは、生きることだと思います。

私は、22年間。そういう気持ちで生きてきました。これからもそうです。

なんか話がそれてしまいました。

最後にまとめをひとつ。

災害は突然やってきます。そして人はパニックになります。

でもその時にどうするか。

何をするべきか。

遠く離れた地にいたとして、何ができるか。

救援物資もそうですし、義援金もそうです。

こういう時に当たり前のように動けるって、イケメンとか仕事ができるとかそういう人よりもかっこいい人だと思います。

男目線の話になってしまいましたが、

事前に考えていても行動できないかもしれませんが、こういう日だからこそ、少し考えてみませんか。

京都に震災が来ないとは限りません。

何が起こるかわかりません。

でも、何か起きた時に何ができるか考えることはできると思います。

今日とか3.11とか熊本震災の日とか、そのたびに考えていきましょう。

それだけで、被害がすくなると思いますので。

そして、これだけは言わせてください。

どうか、みなさんが健康で無事でありますように。

以上、ちょっと感情が混じりましたが、丸毛が担当しました。

こちらもおすすめ