2013.01.18

18年目の状況。

昨日、1月17日は、阪神・淡路大震災から18年が経過した日です。

月日がたつのは早いもので、親戚や友達を亡くしてから18年が経過しました。

18年経過し、神戸の街が実際にどれだけ復興したのか。

東日本大震災とは異なり、津波や原発の被害がない分、確かに復興は早かったものの、

結局は、昔ほど活気が回復したとは言えず、新しく計画した都市計画も、すべてがうまくいったわけではありません。

確かに人口は回復したものの、西宮や明石、大阪等の商業系が活発に開発されたこともあり、

三宮等に人が多く集まるかというと残念ながら微妙な状況といえます。

震災がなければ、そうならなかったのかという総合的な判断も必要かと思いますが、

これからどうしていくのか、神戸の街づくりの課題といえそうです。

これは、京都でも同じこと。

観光地としては十分に認知度も高く、大阪・東京等と比べられる環境かと思いますが、

新規のオフィスビルの需要の見込みもなく、商業エリアも京都市内の一部のみ活発化しているものの、今後の開発というのが難しいのが京都でもあると思います。

新駅ができるのに合わせて、たとえばJR高槻駅や京阪枚方市駅のように、歩道橋で商業ビルに繋がっていたり、桂駅のように駅ビル化したり、人の移動手段である交通機関に合わせ、地方駅ももっと活発化すれば、観光需要とは別に、商業需要も広がりを見せるのではないかと勝手におもっていたりします。

話はもとに戻しまして。

神戸出身で大震災を経験し、友人・知人含め、多数の「死」を目の当たりにしました。

18年経過しているものの、決して風化してはいけないと思っています。

東日本大震災も同じ。

経験していない人にとっては、少なくとも数年で風化が始まってしまいます。

一瞬にして、すべてを失ってしまい、対応できず、自殺する人さえいます。

でも、決しては忘れてはいけないと思います。

地震や津波などの災害はもちろん、原発の問題や太平洋戦争のことや原爆のこと。

日本人として経験したことを糧として、日本人だからこそできることをやるべきではないかと思います。

なんか、話が二転三転しました。申し訳ございません。

少なくとも、私は、今住んでいる京都の将来のためになることを出来ればと、日々頑張っていきたいと思います。

本日は、丸毛が担当しました。

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