2019.12.18

【京都】街中の細道

まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう

(丸太町 竹屋町 夷川 二条 押小路 御池 姉小路 三条 六角 蛸薬師 錦小路 四条 綾小路 仏光寺 高辻 松原 万寿寺 五条)

 

てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい たか あい ひがし くるまやちょう からす りょうがえ むろ ころも しんまち かまんざ にし おがわ あぶら さめないで ほりかわのみず よしや いの くろ おおみやへ まつ ひぐらしに ちえこういん じょうふく せんぼん はてはにしじん

(寺町 御幸町 麩屋町 富小路 柳馬場 堺町 高倉 間之町 東洞院 車屋町 烏丸 両替町 室町 衣棚 新町 釜座 西洞院 小川 油小路 醒ヶ井 堀川 葭屋町 猪熊 黒門 大宮 松屋町 日暮 智恵光院 浄福寺 千本)

 

京都市内中心部の市街地は、いわゆる「碁盤の目」と言われるように

東西・南北の通りがほぼ等間隔に整然と並んでいます。

これは、平安京建都の際の条坊制に加え、豊臣秀吉の京都改造による通りの追加もあって、

おおまかに現在の通りの形が出来上がったそうです。

 

でも、市内にはこれらに当たらない、細い通りが何本もあるのをご存知ですか?

そういった通りの内、通り抜けできるものは”辻子、図子”と呼ばれ、

京都の隠れ家的スポットとして、テナントとしても人気の立地だったりします。

 

本日は、京都市内中心部にある代表的な辻子を3ヵ所ご紹介させて頂きます!

 

撞木辻子(しゅもくずし)

京都市下京区月鉾町、中京区観音堂町、天神山町、菊水鉾町、小結棚町

⇒四条烏丸から西に、室町通と新町通の間の北側にある小道を入ると、T字路があり、

まっすぐ行くと錦小路通に、西に曲がると新町通に通り抜けられます。

 

京都では知っている人と知らない人がちょうど半々ぐらいの辻子だと思います。

内部には飲食店が多数あるので、なじみのお店がある方も多いのではないでしょうか。

 

橦木辻子の由来

『橦木』とは、

1 仏具の一。鐘・鉦(たたきがね)・磬(けい)を打ち鳴らす丁字形の棒。また、釣鐘を突く棒。かねたたき。しもく。
2 《形が1に似ているところから》突棒(つくぼう)の異称。

(デジタル大辞泉)

 

なるほど。T字路はまさに橦木の形ですね!

 

了頓図子(りょうとんずし)

京都市中京区玉蔵町、了頓図子町、衣棚町

⇒室町通と新町通、三条通と六角通の間の南北の通り。

烏丸三条から西に3筋目、南北の衣棚通は南側が途切れているように見えますが、

車も通れない細い通りが六角通まで続いています。

内部には、その名もずばり、『了頓図子町』が。

 

了頓図子の由来

伏見桃山時代にこの辻子の一帯は『広野了頓』という茶人の屋敷があったが、

敷地内の通り抜けを許していたことから来ているそうです。

 

膏薬辻子(こうやくのずし)

京都市下京区郭巨山町、新釜座町、矢田町

⇒四条新町と四条西洞院の間、北側にも南側にも細い通りがあります。

南側の通りが膏薬辻子と呼ばれ、途中2段階で折れ曲がった形となっています。

三条通で途切れる『釜座通』と東西方向に同じぐらいの位置なので、『新釜座通』とも呼ばれます。

ちなみに、膏薬辻子を南に突き進むと、公園や神社の敷地を通りながら、『若宮通』まで抜けられます。

 

四条通と綾小路通を通り抜けれらるので、祇園祭の際などに抜け道として重宝されるようです。

 

膏薬辻子の由来

天慶3年(940年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が京都の町でさらされて以来、全国で天変地異が相次ぎ、

平将門の怨霊の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。

京都でも、空也上人が、道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。

そして、空也供養の発音がなまり、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになった。

(京都市の駒札より)

 

京都には辻子がいっぱい

他にも、京都の町中には、辻子・図子・突抜・路地が多数あります。

京都中の辻子を制覇してみるのも面白いかもしれませんね!

 

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