2016.01.13
こんばんは。辻です。
前回の記事では通り名を用いた京都の住所などを表すルールを説明いたしました。
今日はその続編、実際の通りの解説をしていきます。
ちなみに京都にはいったい何本の通りがあるかご存知ですか??・・実はあまり有名でないものも含めると100本以上もあるんです(!)。これから数回(数十回?)に分けて全ての通りをお伝えしたいと思います。
まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかくたこにしき、しあやぶったかまつまんごじょう・・と有名な歌もありますが、まずは実用上、重要な幹線道路から挙げていきます。
京都市街北端の幹線道路です。東は修学院(白川通)から西は「紫野泉堂町」を南西に折れ、佛教大学前(千本通と今宮通の交点)まで全長約5.3kmあります。上賀茂桜井町付近から松ヶ崎壱町田町付近までは地下鉄烏丸線が道路地下を通り、「北山駅」「松ヶ崎駅」があります。1985年に全線開通した比較的新しい道路で、松ヶ崎周辺では一筋北を旧道が通っており、旧道沿いは古くからの民家が、北山通沿いはウェディング関係の建物やロードサイド店舗が見られます。沿線には京都府立植物園、五山の送り火「妙」「法」があり、地下鉄北山駅周辺はアパレル系のお店や飲食店も多く、休日は買い物客で賑わいます。
北山通が完成するまでは文字通り北端の大通りでした。古くは京都市電北大路線が通っていて、「烏丸北大路」は北の交通の拠点でした。現在も「北大路バスターミナル」があり、「キタオオジタウン」というVIVREを中核とする商業施設があります。ただ、近年は四条や京都駅などに人が集まる傾向が強くなり、旧来の店舗は閉店が目立ちます。逆に大きな土地にロードサイド型店舗が見られるようになってきました。東は白川通から西は西大路通に直結しており、全長は約5.6kmあります。沿線には船岡山、大徳寺、北大路ビブレ、大谷大学などがあります。
学生の街京都の中で、抜群に学生が多い通りと言えます。特に京都大学、同志社大学、立命館大学は全国でもトップクラスの学生数があり、学生をターゲットにした飲食店が多く集まっています。東は白川通の少し東、銀閣寺門前から西は西大路通を超えて、等持院西町まで続き、全長約6.4kmあります。沿線には北野天満宮、京都御苑、同志社大学、鴨川デルタ、京都大学、哲学の道、銀閣寺があります。
東は白川通の先、鹿ケ谷通から西はJR嵯峨嵐山駅を越えた嵯峨釈迦堂大門町まで約10.9kmある、とても長い通りです。名前の由来は江戸時代に材木商が多く建ち並んでいたからとのこと。「烏丸丸太町」や「堀川丸太町」交差点付近は日中は渋滞が頻発するのでなるべく避けて通りたい通りでもあります。沿線には嵯峨・嵐山の観光地、妙心寺、二条城、京都御苑、平安神宮など、寺社仏閣が多い通りでもあります。
東は川端通から西は三条通まで全長約5.4kmの通りです。御池通の西端、三条通は中心部ではともに東西に並走している通りですが、三条通が葛野大路通から北西に湾曲するため東西の通り同士が交差する珍しい現象が起こります。交差点名も「三条御池」と交差点名のルールを知るものからすると”あり得ない”交差点名が生まれました。御池通に関する豆知識は色々あって、まず川端通から堀川通までは京都市内で最も道幅が広い道路であり、両側8車線が確保されています。これは第2次世界大戦中に通りの両側の建物を強制疎開により撤去し、道幅を広げて防火帯としたことに由来します。同じ目的で堀川通、五条通も拡幅され、現在も市内の主要な幹線道路として機能しています。堀川通から東はいきなり片側1車線の道路になり、千本通で二条駅を北に迂回し「千本押小路」交差点から西がまた御池通となります。ここから先「三条御池」まで片側2車線の道路が続きますが、約20年ほど前までは千本通から御前通まで一方通行のとても細い道路で、御池通を直通する車両はほとんどありませんでした。地下鉄東西線の延伸工事や二条駅前の再開発に伴って道路の整備が行われ、今の快適な御池通になったのです。地下鉄東西線は市内ではほぼ御池通の地下を通り、「京都市役所前」「烏丸御池」「二条城前」「二条」「西大路御池」「太秦天神川」の各駅があります。御池通の名前の由来は、堀川通と千本通の間にある「神泉苑」の泉を「御池」と呼んでいたことから、という説が有力でしたが、近年では烏丸御池付近にあった「二条殿」の池を指していたのではないかという説があるようです。また御池通は平安京の「三条坊門小路」にあたり、付近には「三坊西洞院町」「三坊堀川町」などの地名が残ります。沿線には、京都学園大学太秦キャンパス、二条城、京都市役所があります。
本日は以上です。次回、四条通、五条通、七条通、九条通と続きます。