2018.03.15
2011年3月11日14時46分。
皆さんの記憶にも新しい事と思います。
日本の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震が起こりました。
その地震に伴い発生した津波、そして火災などにより多くの命が一瞬で奪われました。
あの日から、7年が過ぎました。
今や当たり前となったSNSで毎年目にする、Yahoo!JAPANが企画している
2018年3月11日に、≪3.11≫
と、検索した方お1人につき10円を募金として被災地域の復興活動につなげる
「Sarch for 3.11」プロジェクト。
2018年の検索数は、4,187,511人だったそうです。
4,187,511×10円。
41,875,110円をYahoo!JAPAN及び応援パートナーより被災地域の復興にたずさわる
6つの団体へ寄付されるとの事です。
何も出来ない無力な私でもこれなら出来る!
毎年かかさず、1クリックさせて頂いてます。
改めて私も、3.11の東日本大震災の事を知るべく調べてみました。
色々なエピソードが上がっていたので、その中の一つを紹介しようと思います。
このお話は自身が助かったのではなく、他の人々を助けた話です。
宮城県北東部の南三陸町で、町役場の危機管理課に所属する遠藤未希さん(当時24)は、
海に近い防災対策庁舎に勤務していた。
地震発生後、最大6mの津波警報が発令されると、
防災放送を担当する遠藤さんは2階の放送室へ駆け込み、
「津波が予想されますので、ただちに高台へ避難してください」と防災放送を始めた。
やがて津波が襲来し、庁舎が数メートル浸水した後も、アナウンスが止まることはなかった。
そして最後の4回では、「ただいま、宮城県内に、10メートル以上の津波が押し寄せています」と内容が変わった。
この時点で、たとえ3階建て庁舎の屋上に避難しても津波に呑まれると十分わかっていただろうが、遠藤さんはアナウンスを止めようとしなかった。
この様子を収めた動画をYouTubeで見ることができるが、
そこではアナウンスの音声に重なる「未希ちゃん、上がって上がって」という同僚男性の声も録音されている。
たとえ自らが命を落とすことになろうとも、
最後まで町の人々を救うために放送を続け、津波の犠牲となったのだ。
結局、津波は屋上の床上2mにまで達し、屋上に避難した職員の多くも津波に呑まれた。
このアナウンスにより、約1万人の人々が避難して助かったといわれるが、
中にはアナウンスが「切羽詰まった声だったから」避難したという女性もいた。
役所の同僚によると、未希さんは非常に責任感が強い女性だったという。
この記事を読んで、何とも言えない気持ちになりました。
私よりもはるかに年下である彼女の正義感、責任感の強さ。
当時の状況を想像する事など出来ず、どれほどの恐怖があった事か。
なのに、未希さんはアナウンスをやめる事なく最後の最後まで周りに状況を伝えた事。
誰しもが自分優先であってもおかしくない状況下でこの勇気ある行動。
私には絶対に真似できません。
7年経ったとはいえ、いまだに傷を抱え癒えてない方などたくさんの被災者がおられる中
普通の生活を送れてる事はなんて当たり前。ではない。
当たり前の事なんてない。
健康で普通の毎日を送れている事は奇跡なんだ。と、思います。
いつなんどき何が起こるかなど誰にも分からない。
その中で平穏な日々を過ごせていることに感謝を忘れず過ごしていきます。
忘れたくない。忘れてはいけない。
そう思っていても時間が経てばどんどん風化してしまう。
悲しいですが事実です。
日々の忙しさにかまけて大事なものを見失わない様、生きていきたいです。
被害に遭われた方そのご家族の方。ご冥福とお見舞い申し上げます。
一日でも早く少しでも傷が癒えますように・・・
今回、暗い記事になってしまいすみません。
何人の方にこのブログを見て頂いてるか分かりませんが、
一人でも多くの方に伝えられればうれしい限りです。
3.11プロジェクト知らなかった方はぜひ!!
来年になってしまいますが1クリックで参加して頂ければと思います。
本日、森藤が担当しました。