2016.04.22
こんにちは。辻です。暑くなってきましたね。
京都の5月の平均最高気温は24.6℃、平均最低気温は14℃です。
晴れの日は25℃を越えるのが普通になってきますね。
さて、本日は京都の難読地名のご紹介です。
日本全国、難しい地名は多いですが、京都も例に漏れず普通では読めない地名が多くあります。
京都市右京区太秦帷子ヶ辻町。駅名は「帷子”ノ”辻」ですが、町名は「帷子”ヶ”辻町」です。
普通じゃ絶対読めない地名ですよね。
この辺りは古くから右京区でも特に栄えている地域で、京福嵐山線と北野線が交差しています。三条通は丸太町通が拡張されるまでは嵯峨・嵐山に向かうメインの通りでした。大映通は今でも店舗がにぎわっています。
京都市右京区太秦。先ほどの「帷子ノ辻」も太秦の地名ですが、そもそも「太秦」も普通には読めないですね。
ふとはた?たしん?・・読み方を知らなければ絶対読めないです。
古来、平安京が出来るより以前、この地には大陸よりの渡来人「秦氏」が定住し、そのため高度な技術が発展しました。
難解な地名も渡来人ゆかりのものなのでしょう。
京都市北区大将軍付近の地名。西大路通の今出川と丸太町の中間ぐらいに交差点名で「大将軍」があります。
大将軍とは陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一です。
付近にある大将軍八(だいしょうぐんはち)神社に祀られており、それがこの付近の地名になりました。
なお、桓武天皇の平安京遷都の際に、京都の四方に4つの大将軍神社が設けられました。
東は左京区岡崎、西は上京区紙屋川(ここが現在の大将軍です)、北は北区大徳寺門前、南の所在地は不明です。
ちなみに現在の位置は、
東: 左京区の岡崎神社と、東山区の東三条大将軍神社、西: 上京区の大将軍八神社、北: 北区の今宮神社摂社疫神社と、西賀茂大将軍神社、南: 伏見区の藤森神社境内です。
京都府向日市にある、地区名、通称地名。歴史的には物集女村があったが、向日市(向日町)の一部となり、住所としては存在しなくなりました。
ただ、現在も「物集女街道」、国道171号線の道路標識にも「物集女」の文字があり、西京区や向日市では今でも定着した地名です。
京都市伏見区深草直違橋、北1丁目、南1丁目、2丁目から11丁目と直違橋片町の住所があります。
五条通から東福寺駅前を経て国道24号線に至る「本町通り」はこの辺りでは通称「直違橋通り」とも呼ばれます。
京都人なら誰でも読めると思いますが、初めて見る方にはなかなか読めない地名だと思います。
京都市上京区に「烏丸町」が、京都市下京区に「五条烏丸町」、南区に「東九条北烏丸町」があります。
普通なら「からすまる」と呼びそうですが、元々は本当に「からすまる」だったそうです。
それが「からすまる」⇒「からすまん」⇒「からすま」と短縮されたとのことです。
こちらも京都人なら普通に読めると思いますが、先=ぽん、という読み方は通常はあり得ないですよね。
中世、室町~安土桃山時代の頃、ヨーロッパから主にポルトガル人が来て京都の鴨川周辺に住んだため、「ポルト」⇒「ぽんと」と変化したということです。
話は変わりますが、西暦1543年にポルトガル人が鉄砲を伝え、1549年にスペイン人のフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えた流れは、当時の日本では鉄砲が大量生産され戦争で使われるようになったり、キリスト教が大名や民衆などに広まり、一部キリスト教徒の反乱が起きたりして、キリスト教は禁じられるという結果になりました。
ただ、日本に訪れたヨーロッパ人の本当の目的は日本の植民地化だったという説が有力です。現にアフリカや南アメリカなどはほとんどの地域がヨーロッパの植民地になってしまいました。
ただ、日本の場合、ちょうど戦国時代で武力が高まっている時代であり、また伝えられた鉄砲や鉄甲船を本場よりも発展させ、強力な兵器にしてしまうなど、ヨーロッパ人の想像以上の戦力になってしまったため、植民地化は免れたということです。
ルイス・フロイスによると、織田信長・豊臣秀吉時代の日本の武力は世界でもトップクラスだとされています。
まだまだ京都には難読・不思議な地名がたくさんあります。
そういった視点で京都の街を眺めてみるのも面白いかもしれませんね。