2017.07.21
長刀鉾倒れる?!!
いえいえ、こちらは7月18日の山鉾解体の様子です。
前日の巡行を無事に終え、所定の位置に戻ってきた長刀鉾が解体作業の真っ只中。
クレーンなどは使わずに、ほんとに手作業で解体されています。
誤って、隣のビルに突っ込んだら・・なんてことは無いのでしょうね。たぶんw
さて先日、仕事帰りにカフェ・ベローチェでくつろいでいた時でした。
隣の席によくしゃべる4人のおばさま方が。
聞くとはなしに、ただどうしても耳に入ってくるトーンに若干の不快感を覚えながら、
もう帰ろうかな、と思っていた矢先、思いがけない話題が飛び出しました。
「出世稲荷は引越したらしいよ!」
(そーなんですか?!)
(ていうか神社って引越しするんですか?!)
なかなか衝撃的な話題に、すぐさまスマートフォンを取り出し、
”出世稲荷 移転”とGoogle検索。
なるほど、たしかに2012年6月に移転していたようです。
しかも!?移転先は私の地元、左京区大原というではないですか?!( ゚Д゚)
なぜ全く知らなかったのか、謎であり恥ずかしくもありましたが、
新たな知識を得、おばちゃんの会話にも僥倖があるものだと、思いを改めました(^_^;)
出世稲荷。京都の方なら名前ぐらいはご存知かもしれません。
千本通を二条駅から丸太町に上る途中、東側にあった神社です。
その縁起の良い名前から、立身出世の神社として崇敬されておりました。
元は豊臣秀吉の聚楽第の邸内社として創建されたもので、
後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、
立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたとのこと。
聚楽第取り壊しの後も元の場所に鎮座していたが、寛文3年(1663年)に移転前の場所に移動。
この地は平安京大内裏の大極殿入口にあった、応天門の跡地と比定されているそうです。
出世開運の神として大名・公家から庶民までの崇敬を受け、
江戸時代後期には庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいたともいわれます。
近代に入ると千本通界隈が映画興行の街として繁栄したため、牧野省三や尾上松之助が鳥居を寄進します。
ただ、地域に氏子がないこと、文化財指定がないことなどから、老朽化した社殿の維持・修復が困難となり、
境内地を売却。2012年(平成24年)6月に京都市上京区より左京区大原に移転しました。
市バスの停留所にも、以前は「出世稲荷前」というものがありましたが、
移転後の2013年春季のダイヤ改正にて京都市交通局、京都バス、西日本ジェイアールバスの
各社局は停留所名を「千本旧二条」と改めました。
現在の出世稲荷神社は、左京区大原来迎院町=三千院への登り道の途上に鎮座されています。
京都豆知識でした♥
大陽リアルティ 辻