2020.08.21
1000年の都、京都にはいまだ知らない史跡がたくさんあります。
今回ご紹介する「豊国廟」もその一つではないでしょうか。
こちらはその名の通り、豊臣秀吉のお墓。
豊臣秀吉は戦国時代末期に全国を統一し、京都・大坂などの上方では圧倒的な支配力があったのですが、
その後、天下を取った徳川家康によって、豊臣家ゆかりの城・寺社・仏閣などはことごとく破壊・縮小されてしまいました。
その後、長期間続いた江戸時代を通して豊臣の時代は更に薄まり忘れられていくので、
京都に秀吉ゆかりの史跡は少なくなっていますが、
麓にある「豊国神社」などと同様に、明治時代になって、明治天皇の勅命により再興されました。
住所:京都市東山区今熊野北日吉町
豊国廟は東山三十六峰の一つ、「阿弥陀ヶ峰」の山頂にあり、
市街地からは、東山七条交差点を東に、京都女子大学の敷地に挟まれた通称「女坂」を登り切ったところに最初の鳥居が現れます。
(途中、新日吉神宮の鳥居も女坂正面に現れますが、それを北側に迂回して進みます。)
坂を登り切った所の鳥居。
この辺りは駐車場になっていて、京都女子大学と市街地をつなぐ「プリンセスライン」の乗り場にもなっています。
鳥居を下から望む。
鳥居から登ってきた道を振り返ると、京都市街が見下ろせます。
ちなみに、東山七条交差点の標高は海抜約50m。この鳥居付近は約100mもあります。
(ついでに京都駅付近は海抜28mぐらい、四条河原町は37mぐらいです。)
鳥居からしばらく歩くと、山頂への石段が始まります。
ここで入山料(確か100円)を支払います。
写真に残ってないですが、鳥居からここまでは「太閤担(たいこうだいら)」という広場があり、桜の名所にもなっています。
入口にある豊国廟の案内板。
ふむふむ・・サルに?注意!
さて登ろうかと石段を見上げると、なかなか心が折れるレベルの景色です。
果たして登りきれるのか・・
石段途中から下を見下ろす。
かなり上がってますが、まだまだです。
そして登りきったと思ったら、中腹です。
結構、心が折れそうな状況。
山頂までは階段が2段階に分かれてますので、事前情報が重要です・・!
さておき、先に進みます。
立派な門。豊臣家の家紋付き。
門の先にはまた石段が。
下段に比べればまだマシですね。
ちなみに、この辺りの地形は、登り時の右手(南)が山、左手(北)が谷になっています。
おそらく明治時代の建築でしょうが、このような場所に一直線の階段を通せる技術はすごいですね。
さて、残りの石段を登りきると・・・
見えて参りました。こちらが山頂にたたずむ「石造五輪塔」です。
近づいてみます。
かなり立派なお墓という印象ですね。
この下に秀吉公が眠っているのでしょうか??
石造五輪塔を一周。
裏側も立派です。
ここは「阿弥陀ヶ峰」の山頂なので京都市内も眺望できます。
清水寺の三重塔は遠くからでも良く分かりますね。
その奥には京都御苑や下鴨神社、鴨川の輪郭が見え、遠く北山には五山の舟形が望めます。
そして、阿弥陀ヶ峰は東山三十六峰の一つですので、尾根伝いの登山道もあります。
阿弥陀ヶ峰の一峰北は「清閑寺山」、一峰南は「今熊野山」です。
尚、阿弥陀ヶ峰の標高は海抜196mです。
今来た道を見返すと遥か下に先ほどの門が。
帰りに石段を数えてみました。
上段は171段、1段あたり約20㎝。
下段は318段、1段あたり約16cm。
合計489段(たぶん・・)、上段と下段では段差が結構違います。
171段×0.2m+318段×0.16m=85.08m
鳥居が標高100mぐらいで、山頂が196m、
鳥居から石段の登り口まで若干登っているので、だいたい数字は合ってそうです。
市街地の近くにこのような史跡があったのは驚きでした。
やっぱり京都は奥深い・・!
本日は辻が担当しました!