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京都に城は何個ある?丹波・山城南部の七城

2017.09.29

さてさて、京都のお城の続きです。

意外とたくさんあるので、どこまで続けようか悩み中です・・(笑)

 

10.周山城

京都市右京区京北周山町城山

”周山”はかつて京都府北桑田郡にあった町名。

その後、周山町は合併により京北町の一部となり、さらに京北町は京都市右京区に編入された。

京都府北桑田郡周山町⇒京都府北桑田郡京北周山町⇒京都府京都市右京区京北周山町、と町名が変遷している。

また国道162号は通称”周山街道”とも呼ばれる。

 

周山の中心部は、国道162号と国道477号が交差する交通の要所で、

左京区広河原を源流とする桂川と国道162号の深見峠を源流とする弓削川が合流する地点でもある。

また、右京区役所京北出張所や京都市京北合同庁舎、「道の駅 ウッディー京北」があり、

いわば、京北町の政治・経済・交通の中心と言える。

 

「周山城」はその中心部から西方の城山山頂にあった城。

現在も山のところどころに城の遺構が見られる。

 

明智光秀が丹波国攻略のため、丹波亀山城と合わせて築城したと伝わり、

築年は1579年、光秀が本能寺の変の後、敗死して、一時期は羽柴秀吉が入城したとの記録もあるが、

間もなく廃城となっている。

城としては数年間しか機能しなかったことになるが、光秀の築城技術や戦術眼がうかがえる貴重な山城である。

 

なお、桂川の源流は左京区広河原で、この京北町も通っていることには驚きだが、

桂川はその後、国道162号に沿って最短経路で京都市内に向かうわけではなく、

西に大きく迂回し、南丹市・亀岡市を通り保津峡から嵐山に出る。

伏見区淀の淀川合流地点から、源流までの距離は約100kmもあり、桂川を走破する旅も魅力的に感じる。

11.草路城

京都府京田辺市草内宮ノ後

現在は咋岡神社の境内となっている。草路(くさじ)の音が変化して、草内(くさうち)となったとも。

応仁の乱(1467年)の後、畠山義就と畠山正長の跡目争いに端を発した、「山城国一揆」の舞台となった。

車なら京奈和自動車道「田辺西IC」から国道307号を城陽方面へ、ローソン京田辺草内店を右折(南方向)。

電車では近鉄京都線「興戸駅」徒歩14分、JR片町線「同志社前駅」徒歩17分。

 

12.山口城

京都府綴喜郡宇治田原町郷ノ口田中

別名:宇治田原城

本能寺の変(1582年)の際、堺に居た徳川家康が「伊賀越え」で畿内を脱出する際に立ち寄ったとされる城。

現在は遺構らしいものはほとんどなく、茶畑が広がるのみである。

 

13.高雄城

京都市右京区梅ケ畑高雄町

「高雄」は国道162号を京北町方面へ向かう途上にある集落である。

紅葉の名所として有名で、清滝川上流での川床料理が楽しめる。

清滝川を下ると保津峡で桂川に合流する。

大日本帝国海軍の軍艦の艦名として使われたほか、台湾の高雄市の由来ともなっている。

京都市内からでも、市バス8号系統・高雄行や「嵐山・高雄パークウェイ」で知られた地名である。

 

高雄城は、高雄山神護寺の詰の城として高雄山山頂に築かれたとされる。

築城年代は定かではないが、足利直義(足利尊氏の異母弟。1306年~1352年)や細川晴元(1514年~1563年)と関連があり、

鎌倉時代末期から戦国時代にかけて存在したと推定できる。

 

14.滝ヶ嶺城

京都府亀岡市本梅町平松滝ケ谷

亀岡市の西部、大阪府豊能郡能勢町との府境付近。

近くには国道477号と国道372号が通る。

伝1377年森美作守頼永による築城。明智光秀による丹波国攻略の際に、八木城攻めの先鋒として、滝ヶ嶺城の森美作守が攻め、八木城は落城したと伝わる。

 

15.数掛山城

京都府亀岡市本梅町平松西山

滝ヶ嶺城に近い山頂に築かれた城。築城年代は定かではないが、1550年頃には波多野秀親が城主であり、1553年に松永弾正久秀に攻められている。

 

16.須知城

京都府船井郡京丹波町市森

京都縦貫自動車道「丹波IC」「京丹波PA」付近、国道9号や「道の駅丹波マークス」があり、

少し北に行けば京丹波町役場、国道9号と国道27号の分岐があるなど、丹波地方・山陰道の要地である。

室町時代(南北朝時代)に須知氏によって築かれたと伝わり、1352年に落城した記録がある。

その後、応仁の乱から戦国時代に入り、1579年に明智光秀によって落城、須知氏は滅亡した。

 

まだまだ続きます

始めてみたはいいものの、なかなか終われなさそうです。

しばらく続きます★

 

本日は辻が担当しました!

 

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