2017.12.01
本シリーズも早くも3回目。
これで完結です★
中京区には4つの元○○町があります。
どんな元○○町があるのでしょうか・・!?
東洞院通蛸薬師下る(または東洞院通錦小路上る)、蛸薬師通東洞院西入、蛸薬師通東洞院東入、錦小路通東洞院西入、錦小路通東洞院東入。
弊社、大陽リアルティがある中京区泉正寺町のお隣の町です。
中京区には「竹田町」の町名はありません。
由来は、室町時代の末期に医師”竹田道安”が住んでいたことによるそうです。
錦小路通烏丸東入(または錦小路通東洞院西入)、烏丸通錦小路下る。
”中京区法然寺町”の町名はありません。
鎌倉時代初期に当地に建立され、現在の法然寺は右京区嵯峨天龍寺にあります。
”法然上人”は浄土宗の開祖として日本で最も有名な僧侶の一人です。
小川通六角下る(または小川通蛸薬師上る)。
実はこの町名を説明したいがために、本ブログのテーマを選びました(笑)
本能寺は、日本史上の大事件である「本能寺の変」が起こった舞台。
天下統一への道が見えた織田信長が重臣の明智光秀の謀反により討たれ、
その光秀を討った羽柴秀吉によって天下統一が実現されます。
現在でも多くの観光客が訪れる本能寺ですが、実は現在の本能寺と織田信長が討たれた本能寺は場所が違うのです・・!
現在の本能寺は、京都市役所前=河原町御池の南西一帯にあります。
織田信長が討たれた本能寺は、四条堀川周辺と史実にもあり、まさに「元本能寺町」辺りなのです。
信長を偲ぶための本能寺詣であれば、必然的に「元本能寺町」に行かねばならないでしょう。
もちろん、現在の本能寺にも信長を偲ぶ遺産がありますので、通であれば、
まず現在の本能寺に行って信長を学び、その後、元本能寺町に行って深く信長の偉業と無念に思いを馳せるべきでしょう。
なお、元本能寺町の北隣には(なぜか)「本能寺町」があり、
現在の本能寺周辺は、「上本能寺前町」(御池通より北)と「下本能寺前町」(御池通より南)があります。
さらに、小川通蛸薬師上る、小川通蛸薬師下る、蛸薬師通小川西入、蛸薬師通小川東入には、
「元本能寺南町」があります。
下京区には2ヶ所の元○○町があります。
どんな元○○町があるのか楽しみですね!
東洞院通綾小路上る(または東洞院通四条下る)、綾小路通東洞院西入、綾小路通東洞院東入。
下京区には、元悪王子町と悪王子町(烏丸通五条上る)があります。
「悪王子」は以前にもご紹介させて頂きましたが、
素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀った神社で、
”悪い”王子という意味ではなく、”強い””勇猛な”王子という意味です。
現在は祇園・八坂神社の境内にある悪王子社。
元々は元悪王子町に建立され(平安時代中期)、
安土桃山時代に悪王子町に移転、次いで四条御旅所、四条大和大路、現在地に移ったとのこと。
なお、1998年に八坂神社の悪王子社から旧地(元悪王子町)に新たに悪王子社が分祀されています。
室町通松原下る(または室町通万寿寺上る)。
由来については不明ですが、室町通を北に行くと三条通から丸太町通の間、一筋東に”両替町通”があります。
あるいは、両替商が集まった場所なのかもしれません。
なお、中京区両替町はありません。
京都の町名の由来を辿ってみると、いろいろな歴史がありますね。
本日は辻が担当しました!