2017.11.26

京都の町名。元〇〇町の由来Vol.2

イチゴパンツ(1582)の信長が・・

西暦1582年(天正10年)、天下統一に邁進する織田信長は京の本能寺にて家臣の明智光秀に討たれます。

現在の本能寺は、京都市役所から御池通りを挟んだ南側にありますが、信長が討たれた本能寺はこれとは違う場所だったのです・・!

 

それでは前回に続き、元○○町の解説を続けていきます!

前回ブログ⇒

京都の町名。元〇〇町の由来

 

上京区元○○町

上京区の続きです。

実は上京区が最も元○○町が多いのです・・!

元北小路町

今出川通智恵光院東入の一帯が元北小路町。

「北小路町」は中京区(両替町通二条上る)と下京区(北小路通堀川東入)に、

中京区には「西ノ京北小路町」(西大路三条付近)もあります。

「北小路通」は「今出川通」の本称とのことで、上京区には西北小路町や北小路中之町もあります。

 

元新在家町

新町通今出川上る周辺にある町。

由来は定かではないが、”新在家”は新しい村という意味で、全国各地に同じ地名があります。

”元”新在家は字面通り、かつての新しい村(=今では昔からあった村)という意味合いになるのでしょうか。

他にも上京区内には、北新在家町、南新在家町、今新在家町があります。

 

元真如堂町

一条通新町西入に「元真如堂町」が、車屋町通二条上るに「真如堂町」があり、

寺院として有名な「真如堂」は左京区浄土寺にある。

元々、真如堂は現在の地に有ったが、応仁の乱以降、京都市内を転々とした名残だという。

寺町通今出川下るにも、「真如堂突抜町」「真如堂前町」がある。

 

元浄花院町

上長者町通烏丸西入。”浄花院町”は無い。

浄花院は、上京区寺町通広小路上るにある「清浄華院」の別名で、

創建当初は御池高倉付近にあったが、14世紀に土御門室町(元浄花院町)に移転、豊臣秀吉によって現在地へ移転されたという。

 

元図子町

元誓願寺通新町西入。”図子町”は無いが、柳図子町や常盤井図子町がある。

”図子”とは辻子とも書き、路地のことであり、通り抜けることが出来るものをいう。

 

元頂妙寺町

新町通り下長者町上る。”頂妙寺町”は無く、”頂妙寺”は左京区川端二条付近にある。

16世紀初頭に頂妙寺があったことに由来する。

 

元土御門町

上長者町通新町東入。「土御門町」も上長者町通新町西入に隣接してある。

上長者町通は平安時代の「土御門大路」であり、藤原道長の邸宅「土御門殿」があったことに因む。

 

元中之町

元誓願寺通智恵光院西入。

由来は前述の元四丁目と同じく、かつてあった誓願寺が移転したことで中之町⇒元中之町と変移したと思われる。

ちなみに、中之町の町名は上京区に2ヶ所(仲之町は4ヵ所)、中京区に4ヵ所、下京区に1ヵ所あって、非常にややこしい。

 

元百万遍町

「百万遍」といえば京都大学のある左京区の交差点及び隣接する「百万遍知恩寺」が有名だが、「元百万遍町」は油小路通一条上るにある。

なお、「百万遍町」は千本通上長者町上るにある。

どちらの町名も百万遍知恩寺の移転に伴うものである。

 

元福大明神町

葭屋町通下立売上る。「福大明神町」が葭屋町通中立売上るにある。

かつて”福大明神”という神社があったのかと推察されるが、現在その痕跡はない。

 

元本満寺町

今出川通新町西入。「本満寺前町」が寺町通上立売の現在の本満寺付近にある。

「元本満寺町」が創建当時の場所で、「本満寺前町」が現在の場所と、今回のテーマのモデルとなる町である。

なお、寺町通付近に寺院が集中するのは豊臣秀吉の京都都市改造によるものである。

 

元妙蓮寺町

元誓願寺通智恵光院東入。現在の妙蓮寺周辺(寺之内通大宮東入)に「妙蓮寺前町」がある。

かつての誓願寺から西に延びる”元誓願寺通”沿いに、誓願寺の移転に因んだ元四丁目や元中之町があるが、

元妙蓮寺町はそれとは関係なく、かつて妙蓮寺があった場所という意味である。

尚、妙蓮寺の創建当初は四条大宮にあり、のち堺に移転⇒元妙蓮寺町⇒豊臣秀吉により現在地へと移転した。

 

次回、最終回は中京区と下京区です!

元○○町と○○町の関係は様々ですが、どれも京都の歴史に由来するものばかりです。

次回も京都の豆知識をご紹介させて頂きます!

 

本日は辻が担当しました!!

 

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