2018.11.24
前回からご紹介させて頂いております、京都の〇〇丁目という住所表記。
京都では少ないのかと思いきや、意外とたくさんあるんです。
本日は東山区からご紹介致します!!
清水寺を含んだ参道の最も上の方が1丁目、続いて2丁目、3丁目・・・と参道を下りてくるイメージで、4丁目・5丁目は東大路通に面しています。
清水の様に、お寺に近いほど商業的価値が高い場所だと、丁目の数字が若いほど価値が高いことになり、分かりやすいですね。
「五条橋東」はなぜか2丁目から始まります。
ちなみに本来1丁目に当たるであろう場所は、「東橋詰町」となっています。
その東橋詰町から東に2丁目、3丁目と続き、最後の6丁目は東山五条の交差点から東側で清水寺の広大な墓地が大半を占めています。
五条大橋のすぐ東側、上述の東橋詰町に南接して鞘町1丁目があります。
そのまま鞘町通りに面して2丁目以降が続くのかと思いきや、南隣は「大阪町」となっていて鞘町は1丁目で終わってしまいます。
この地で大阪と何があったのか・・何か込み入った事情や複雑ないきさつを感じます・・(*_*)
この「本町」の丁数が京都で最大となります。
むしろ全国的にも22丁目まである住所は稀なのではないでしょうか??(北海道にはあるようです。)
上述の東橋詰町の南隣かつ鞘町1丁目の東隣⇒「本町通五条」の交差点から1丁目が始まり、
南に続く本町通沿いに延々と続き、22丁目は伏見稲荷のすぐ北まであります。
京阪電車の駅でいうと、清水五条から七条、東福寺、鳥羽街道、伏見稲荷まで続くかなり長大な町です。
しかし、以上を覚えれば、〇丁目はどこらへん、というのがすぐに分かるので非常に分かりやすい住所表記ですね。
なお、本町新5丁目は本町4丁目と5丁目の間、本町通正面下るに、
本町新6丁目は本町5丁目と6丁目の間、本町通七条上るにあります。
町の大きさを見ると、元々の5丁目・6丁目が分裂したようにも思えます。
この地にも何か込み入った事情や複雑ないきさつがあるのでしょう・・
京都の花街「宮川町」で有名な宮川筋。
四條大橋東詰から南にすぐ宮川筋1丁目が、そこから鴨川に沿って続き、五条大橋北側が宮川筋8丁目です。
鴨川の東側には〇丁目表記の住所が集中してますね。
大和大路通正面下る、豊国神社・京都国立博物館の西側にあります。
付近には豊臣秀吉の恐怖の歴史の一つ”耳塚”があります。
以上、東山区の〇丁目でした!お次は下京区です。
五条大宮を南へ、六条通の辺りに大宮1丁目が、そのまま西本願寺の敷地を含みながら大宮通を下り、
七条通りの一筋北、北小路通までが大宮3丁目です。
「大宮通」の由来は、北区の大宮かと思っていますが、下京区にも大宮の町名があったのですね!
「下京区烏丸」には1丁目がなく、突然2丁目が現れ、終わります。
場所は烏丸花屋町交差点周辺。
しかも町域は道路と東本願寺の敷地の一部と建物1軒だけというかなりレアな町です。
以前ご紹介した御所南にも同じような町があります。
こちらも突然4丁目だけがあります。
七条堀川の南西、下魚棚通猪熊東入の一帯です。
こういった町は、おそらくかつては隣接して1丁目・2丁目などがあったのでしょうが、
何か込み入った事情や複雑ないきさつがあって別の町名に変わってしまったのでは、と想像されます。
京都マニアには有名な町名「天使突抜」。
かつて豊臣秀吉の京都改造において、五條天神宮を道路で分断してしまったことを皮肉って付けられた地名だとか。
現在の五條天神宮がある、西洞院松原の一筋西、東中筋通沿いに五条通を越えて、六条通までが町域です。
この東中筋通が秀吉が無理やり通した道路だと考えられます。
前述の大宮1丁目~3丁目の西側に接し、下松屋町通の六条通~北小路通に位置します。
突抜2丁目は甲子園で有名な龍谷大平安高校を含みます。
ここでは何を突き抜けたのでしょうか・・
ここまで、上京区・東山区・下京区とご紹介させて頂きました。
まだまだ続きます・・乞うご期待!